東京地方裁判所 昭和46年(タ)363号 判決 1975年1月24日
原告 中嶋美代子 外六名
被告 東京地方検察庁検事正 鹽野宜慶
補助参加人(亡山田武雄訴訟承継人) 山田トノ 外三名
主文
(一) 本籍東京都港区三田五丁目六〇番地亡中嶋定好が本籍東京都港区芝白金志田町五八番地亡山田ちせの子であることを確認する。
(二) 原告らのその余の請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、原告らと被告との間においてはこれを二分し、その一を国庫の、その余は原告らの各負担とし、参加費用についてはこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告補助参加人らの負担とする。
事実
第一当事者が求めた裁判
一 原告ら
「(一)本籍東京都港区三田五丁目六〇番地亡中嶋定好が、本籍東京都港区芝白金志田町五八番地亡山田清太郎及びその妻亡山田ちせの長男であることを確認する。(二)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。
二 被告
「原告の請求を棄却する。」との判決。
三 被告補助参加人山田トノ、同山田清作、同山田君子
「本件訴えを却下する。」との判決。
四 被告補助参加人小川梅子
「(一)原告らの請求を棄却する。(二)訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。
第二当事者の主張
一 原告らの請求原因
(一) 原告らは、いずれも訴外亡中嶋定好(本籍東京都港区三田五丁目六〇番地。昭和三七年七月五日死亡。以下「訴外定好」という)の子である。
(二) 訴外定好は、明治三四年八月一〇日、訴外亡山田清太郎(本籍東京都港区芝白金志田町五八番地。明治一二年一〇月七日生。昭和八年六月一八日死亡。以下「訴外清太郎」という)と、当時同人と内縁関係にあつた訴外亡山田ちせ(本籍訴外清太郎に同じ。明治一五年一二月一〇日生。大正六年四月二二日死亡。以下「訴外ちせ」という)の間に出生したが、右清太郎、同ちせが正式に婚姻する前に生まれた子であることから、出生後、直ちに母方の親戚である訴外亡中嶋惣五郎(以下「訴外惣五郎」という)とその妻亡もん(以下「訴外もん」という)夫婦に引取られ、右惣五郎、もん夫婦の四男として、虚偽の出生届がなされた。
(三) 訴外清太郎、同ちせは、定好出生後の明治三六年五月四日、婚姻の届出をして正式に夫婦となり、長男武雄(昭和四八年三月二八日死亡。以下「訴外武雄」という)、二男春雄(昭和四六年六月二五日死亡。以下「訴外春雄」という)、二女梅子(以下「補助参加人梅子」という)らを儲けたが、訴外定好を認知することなく、前記の日にそれぞれ死亡した。
(四) ところで、訴外定好は、訴外清太郎、同ちせの生存中、同人らの実子として同人らのもとに出入りし、訴外武雄、同春雄、補助参加人梅子らとも長年実の兄弟として親密な交際を続けてきたものであり、定好の死亡後は、原告らが、右武雄らを叔父・叔母として親戚付合いを続けてきた。ところが、訴外春雄の死亡後、同人には妻子がなかつたことから、その遺産をめぐつて、現在、訴外武雄の相続人である被告補助参加人山田トノ(以下「補助参加人トノ」という)、同山田清作(以下「補助参加人清作」という)、同山田君子(以下「補助参加人君子」という)と補助参加人梅子の間で、遺産分割の調停が進行中であり、原告らも訴外定好の代襲相続人として右調停手続に参加している。
(五) 以上のとおり、本件親子関係の当事者は、いずれも既に死亡しているが、右親子関係をめぐつて、現在原告らと補助参加人らとの間に紛争が生じているので、その確認を求める必要があるところ、訴外定好は、両親が婚姻することにより当然に同人らの嫡出子たる身分を取得したものと解され(大審院昭和一五年一月二三日民事連合部判決。民集一九巻一号五四頁参照)、清太郎が定好を認知しなかつたことは、何ら右父子関係に影響を及ぼすものではないというべきであるから、原告は、訴外清太郎、同ちせと訴外定好との間に親子関係が存在することの確認を求める。
二 請求原因に対する被告の答弁
請求原因事実はいずれも知らない。
三 補助参加人トノ、同清作、同君子の答弁
(一) 親子関係存否確認の訴えは、その親子関係の存否を判決で確定することについて即時確定の利益を必要とするものであるところ、本件訴えは、要するに、財産上の紛争解決の先決問題として、死者相互間の親子関係の確認を求めるというものである。しかし、親子関係の存否を先決問題とする財産上の処理は、直接その財産関係を訴訟の目的とし、その訴訟の過程で親子関係の存否を判断するのが最も有効適切であつて、あえて死者相互間の親子関係自体を訴訟の目的とする必要はないから、結局、原告らの本件訴えは、確認の利益を欠く不適法な訴として却下されるべきである。
(二) 仮に、右の主張が理由がないとしても、婚外子と父との関係は、父が子を認知することによつて初めて法律上の父子関係となるのであつて、子の出生後単に父母が婚姻したというだけでは、未だ法律上の父子関係とはならないのであるから、仮に、訴外清太郎と訴外定好との間に血縁関係が存在するとしても、その父子関係の存在確認を求める訴え部分は、不適法なものとして却下されるべきである。
(三) 請求原因に対する認否
請求原因(一)は認める。同(二)のうち、訴外定好、同清太郎、同ちせの各出生日、死亡日及び本籍並びに定好が訴外惣五郎、もんの四男として届出され、同人らのもとで育つたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。同(三)は認める。同(四)のうち、現在、原告ら主張のような調停手続が進行中であることは認めるが、その余の事実は否認する。同(五)は争う。
四 補助参加人梅子の答弁
請求原因事実のうち、訴外定好が訴外清太郎、同ちせの子であるという主張部分及び右清太郎、ちせの生存中の同人らと定好の交際の詳細は知らないが、その余の事実はいずれも認める。補助参加人梅子は、父である訴外清太郎の死亡後間もなく、叔父である訴外山田長三郎、同はな夫婦から、定好が自分の実兄であると聞かされ、以後、定好を兄として、親戚付合いをしてきたものである。
第三証拠関係<省略>
理由
一 本件訴えは、死者相互間の親子関係の存在確認を求めるものであるところ、補助参加人トノ、同清作、同君子は、本件訴えにつき、確認の利益を欠く不適法なものであると主張するので、まず、この点について判断する。
死者相互間の親子関係の確認を求める訴えの適否については、明文の規定はないが、父母又は子の双方が死亡している場合であつても、その父母又は子の親族の間で、当該親子関係をめぐつて現に紛争が存在し、且つ、その親子関係を確定することが現在の紛争を解決するために有効適切であると認められ、しかも、当該親子関係の存否に関する判決の効力を第三者にも画一的に及ぼすことが適当であると考えられる事情が存在する場合には、その父母又は子の親族は、人事訴訟手続法第三二条第二項、第二条第三項を類推して、検察官を相手方として、死者相互間の親子関係存否の確認を求める利益があるものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、本件弁論の全趣旨によれば、訴外清太郎、同ちせの二男である訴外春雄の遺産分割をめぐつて、右清太郎夫婦の長男である訴外武雄(同人の死亡により補助参加人トノ、同清作、同君子が武雄の地位を承継した)、二女である補助参加人梅子及び訴外定好の子である原告らとの間に紛争が生じ、現に東京家庭裁判所に遺産分割調停事件が係属中であつて、同事件は訴外定好が訴外清太郎、同ちせ間の嫡出子であるか否か、したがつて、原告らが春雄の遺産につき代襲相続権を有するか否かが争われていることが認められる。そうだとすると、前記遺産分割に先立ち訴外清太郎、同ちせと訴外定好間に親子関係が存在するか否かを判決によつて確定させることが、現在の原告らと補助参加人らの間の紛争を解決するために有効適切であるばかりでなく、将来同一の親子関係をめぐつて新たな紛争が生じた場合に矛盾した判断がなされることを防止することにもなるものというべきであるから、結局、本件訴えは、確認の利益を有するものと解するのが相当である。
二 その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるからいずれも真正な公文書と推定すべき甲第一号証の一ないし九、証人小川梅子、同中嶋コト、同鑓屋正の各証言及びこれらによりいずれも真正に成立したものと認められる甲第二号証の一ないし五九、同第三号証並びに本件弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
原告らは、いずれも訴外定好(本籍東京都港区三田五丁目六〇番地。明治三四年八月一〇日生。昭和三七年七月五日死亡)とその妻コト(以下「訴外コト」という)間に生まれた嫡出子であること、訴外定好は、戸籍上、訴外惣五郎、同もん夫婦の四男として登載されていること、訴外清太郎(本籍東京市芝区白金志田町((現在東京都港区芝白金志田町))五八番地。明治一二年一〇月七日生。昭和八年六月一八日死亡)と同ちせ(本籍訴外清太郎に同じ。明治一五年一二月一〇日生。大正六年四月二二日死亡)は、明治三六年五月四日婚姻の届出をして夫婦となり、訴外武雄(明治三七年九月一八日生。昭和四八年三月二八日死亡)、同春雄(明治四一年二月六日生。昭和四六年六月二五日死亡)補助参加人梅子(明治四四年七月三〇日生)らを儲けたこと、ところで、訴外コトは、昭和三年一二月二一日、訴外定好と婚姻の届出をして夫婦となつたが、婚姻後、コトは訴外もんや定好から、「定好は戸籍上は訴外惣五郎、もん夫婦の子とされているが、実際は訴外清太郎、同ちせの間の子であること、定好の出生当時清太郎とちせは未だ結婚していなかつたことから、同人らは世間態をはばかつて、定好をちせの母方の親戚である惣五郎、もん夫婦の四男として届出、以来、定好が小学校を卒業するまで、ちせの母(訴外中嶋志満(以下「訴外志満」という)の手で育てられ、その後、訴外ちせのもとで過ごしたこともあること」を聞かされたこと、そして、定好は明治三五年一〇月二七日志満の養子となる旨の縁組届をしていること、訴外清太郎の死後間もなく、補助参加人梅子は、清太郎の実弟にあたる訴外山田長三郎及びその妻はなから「訴外定好は、訴外武雄、同春雄及び梅子の兄である」旨聞かされたが、その場には、武雄、春雄及び定好が同席していたこと、以来、訴外定好と訴外武雄ら兄妹とは、実の兄弟として交際するようになり、武雄ら兄妹は定好を「兄」と呼び、昭和九年ごろには、武雄が約一年間定好夫婦方に同居したこともあること、訴外定好の死後、同人の遺族が港区白金二丁目二番六号所在の立行寺の境内に中嶋家の墓地を買い求めることにしたが、その際、訴外春雄及び補助参加人梅子の夫である訴外小川勉の希望で、定好の遺族と右春雄及び小川勉が共同で立行寺の墓地の一区画を購入し、現在、中嶋家、小川家及び訴外春雄の墓が隣接して建立されていること、定好の死後、同人の妻子と武雄らは、春雄が死亡するまで叔父と甥、姪として交際を続けていたが、春雄の死後、同人に妻子がなかつたことから、同人の遺産をめぐつて訴外武雄と補助参加人梅子及び原告らとの間に紛争が生じ、これが契機となつて、武雄及びその妻子らは、訴外定好と訴外清太郎夫婦との親子関係を否定するに至つたこと、なお、訴外清太郎から訴外定好に対する認知の届出はなされていないこと。
以上のように認められ、右認定を左右するにたりる証拠はない。右認定事実によれば、訴外定好は、訴外ちせが訴外清太郎と婚姻の届出をする前である明治三四年八月一〇日、出産したものであると認める。
ところで、母とその非嫡出子との間の親子関係は、原則として、母の認知をまつまでもなく分娩の事実によつて当然に発生するものと解されるが、父とその非嫡出子との親子関係は、単に自然的血縁関係があるというだけでは足りず、その父が子を認知することによつて、はじめて、法律上の父子関係が発生するものであり、父の認知がない限り、父母が婚姻したからといつてその間に生まれた子が直ちに同人らの嫡出子となるいわれはない(原告らが引用する大審院昭和一五年一月二三日民事連合部判決民集一九巻一号五四頁の事案は、婚姻に先行して内縁関係にあつた妻が内縁の夫によつて懐胎し、右夫婦が適式に法律上の婚姻をなした後二〇〇日以内に出生した子の嫡出性に関するものであり、子の出生当時その父母が未だ法律上の婚姻をなすに至つていない本件とは事案を異にするものであるから、本件の先例とはなし得ない)。そして、右認定のとおり、訴外清太郎は、訴外定好を認知することなく昭和八年六月一八日に死亡しているのであるから、訴外清太郎と同定好との間の自然的血縁関係の存否につき言及するまでもなく、すでに民法第七八七条に定める認知の訴の出訴期間も経過しているし、他に認知又はこれと同様の効果を発生させる事情があつたとも認められない本件においては、右清太郎と定好の間には法律上の父子関係は発生するに由ないものといわなければならない。
三 以上のとおりであるから、原告らの本訴請求中訴外定好と訴外ちせ間の母子関係の確認を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条、第八九条、第九三条第一項、第九四条、人事訴訟手続法第三二条、第一七条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 寺澤光子 川波利明 富塚圭介)